京都府宇治市にある平等院。浄土庭園に朱の翼を広げる鳳凰堂のたたずまいは見る者の心を清らかにしてくれる。
この記事の内容
まさに国の宝!鳳凰堂
鳳凰堂と呼ばれるのは、正面から見た姿が翼を広げた鳥のように見えることや、屋根に鳳凰を戴くことがその理由らしいのだが、中世までは阿弥陀堂(あみだどう)と呼ばれていた。
中央に御本尊の阿弥陀如来像が安置されている。
極楽浄土の世界観は現代人には理解不能?
鳳凰堂を建てたのは関白藤原頼通(ふじわらのよりみち)。父・道長(みちなが)とともに藤原摂関政治の最盛期を築いた人物である。
もともと貴族の別荘だったものを道長経由で頼道が譲り受け、寺院に改めて平等院としたのが1052年。翌年に阿弥陀堂を建立している。
当時は末法思想が流布しており、1052年は末法初年の年と考えられていた。頼道も末法の世を恐れ、阿弥陀の力にすがって極楽浄土への往生を願ったのだろうか・・・
※末法思想:お釈迦さまがお亡くなりになられたあと徐々に仏法が衰え、末法を迎えると社会が混乱するという思想。末法思想を受けて浄土信仰が盛んになった。
浄土庭園をぐるりと回って「ミュージアム鳳翔館」に入り、彫像や絵画などを鑑賞。特に印象深かったのが「雲中供養菩薩像(うんちゅうくようぼさつぞう)」だ。
孫悟空のきんと雲のような雲に乗った仏さまがたくさんいらっしゃる。なかには楽器を奏でている仏さまもいらっしゃり、死後の世界のイメージからはほど遠い。
これが極楽浄土というものなのだろうか? ちょっと不思議な感覚にとらわれてミュージアムを出た。
御朱印
御朱印帳
御朱印
授与所に並んでその場で書いていただく。サラサラと筆が動くところを見ることができる。子どものころ習字が得意でなかった自分にとってはこれも感動もの。
他人のものに筆で書くのだから一発勝負だ。失敗することはないのだろうか?!
このあたりでも戦が?
宇治は風光明媚なところで貴族の別荘などがあったところなのだが、交通の要衝でもあり、古来より戦場になっている。
木曽義仲(きそよしなか)と源義経(みなもとのよしつね)の戦いや、北条氏の鎌倉幕府軍と後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)の朝廷軍が戦った承久の乱(じょうきゅうのらん)でも宇治川が合戦の舞台になっている。
平等院の境内に源頼政(みなもとのよりまさ)の墓があるのは、以仁王(もちひとおう)の令旨(りょうじ)を受けて平氏打倒に立ち上がった頼政が宇治で平氏軍に敗れ、平等院で自害したからである。
しかし、このあと頼朝、義仲らの挙兵が続き、義経の神がかり的な活躍で平氏は滅亡する。頼政の死は無駄にならなかったということか。(合掌)
京都に来たら抹茶スイーツは外せない
甘味処を物色する。京都旅行の楽しみの一つだ。迷った末に伊藤久右衛門の宇治本店に入る。
抹茶がこんなにおいしいものだとは思わなかった。さすが本場! お店の雰囲気もグッドでした。
●平等院の基本情報
・世界文化遺産
・御本尊:阿弥陀如来座像(定朝(じょうちょう)作)
・創建:1052年
・文化財:国宝・国指定重要文化財
・京都府宇治市
2022(令和4)年10月8日(土)参拝(60歳7か月)