醍醐寺は豊臣秀吉が催した「醍醐の花見」で有名な京都の桜の名所。境内の至る所で桜が咲き誇り、「桜の寺」と呼ぶにふさわしい景観が広がっていました。
この記事の内容
醍醐寺の由緒・歴史
醍醐寺についてまとめました。
・真言宗醍醐派の総本山
・醍醐山(笠取山)全体を寺域とし、敷地は200万坪以上!
・山上部の上醍醐と麓の下醍醐に大きく分かれる(下醍醐から上醍醐へは徒歩1時間)
・弘法大師・空海の孫弟子、理源大師・聖宝(しようぼう)が上醍醐に開創
・醍醐天皇の勅願寺となり、伽藍が造営され発展
・応仁の乱などにより下醍醐の伽藍をほとんど焼失(五重塔を除く)
・豊臣秀吉の援助により再興。吉野などから約700本の桜が移植され、「醍醐の花見」と呼ばれる壮大な催しが行われる
・国宝6棟、重文10棟。寺宝は約15万点、うち国宝75,537点、重要文化財430点を数える(諸尊以外の寺宝のほとんどは、「霊宝館」に収められ一部を順次公開)
・1994年、世界文化遺産に登録
文化財の数、すごいです。
「醍醐の花見」の舞台・三宝院
醍醐寺(下醍醐)の拝観は、三宝院エリア、伽藍エリア、霊宝館エリアに分かれていて、拝観料が設定されています。
最初に三宝院を拝観しました。
三宝院は醍醐寺の歴代座主が居住する本坊的な存在。「醍醐の花見」が催されたところです。
桜は少し散り気味でしたが、きれいでした。
▼三宝院庭園は、「醍醐の花見」に際して豊臣秀吉が自ら基本設計をしたそうです。
▼三宝院を出て伽藍エリアに向かうとお目当ての一つ、唐門がありましたー!
▼「桜馬場」を仁王門へ向かいます。
壮大な伽藍エリア
仁王門からは伽藍エリアになります。
▼醍醐寺の鎮守社・清瀧宮(せいりゅうぐう)。
京都最古の木造建築・五重塔
国宝の五重塔は、現存する京都府最古の木造建築(951年完成)。
応仁の乱などの兵火で下醍醐の伽藍はほとんど焼失したものの、五重塔だけは難を逃れたという。
京都に残る数少ない平安時代建築として貴重なものとのことです。
ちなみに、日本一の高さの木造建築・東寺の五重塔は約55メートル。
秀吉が移築した金堂
金堂は応仁の乱で焼失し、その後、豊臣秀吉によって紀州から移築されたもの。ご本尊の薬師如来が安置されています。
▼金堂から撮影。
不動明王は弘法大師・空海の念持仏であり、東寺の大師堂には弘法大師像とともに安置されています。
※念持仏:日常的に身につけたり身近に置いたりして拝む仏像
醍醐寺と同じ真言宗の東寺の記事を書いていますので、ご参照ください。↓
▼真如三昧耶堂(しんにょさんまやどう)。ここでいわゆる寝仏(涅槃像・ねはんぞう)を初めて見ました。
涅槃仏(寝仏)とは?
涅槃仏とは、お釈迦さまが入滅するようすを仏像としてあらわしたもの。
ほとんどの像は右手を枕とするか、もしくは頭を支える寝姿で、基本的には、頭は北向き、顔は西向き。これが亡くなった人を北枕にする由縁となったそう。(こちらの寝仏の頭は西向きだと思いますが)
私が三宝院で醍醐寺の御朱印をもらったときも1時間ほど並びました~。この季節は混むのでじっと我慢の子で待つしかかありませんね。
霊宝館:国宝7万5千点以上を収める
霊宝館は醍醐寺の寺宝を保存する施設。仏像などを拝観しました。
エリア内をぐるっと一周できるようになっていて、こちらも桜がきれいでした。
参拝を終えて
桜は噂にたがわぬ咲きぶりで、堪能しました。
伽藍エリアの奥へと進むに従って自然が豊かになり、古刹の雰囲気をいっそう強く感じさせてくれます。見どころ豊富で「さすが、世界遺産は違うな」と感じた醍醐寺でした。
御朱印「薬師如来」
●醍醐寺の基本情報
・真言宗 醍醐派 総本山
・山号:醍醐山
・御本尊:薬師如来
・創建:874年
・文化財:国宝・国指定重要文化財/世界遺産
・京都市伏見区
2023(令和5)年3月30日(木)参拝(61歳0か月)