城南宮は平安遷都の794年、都の安泰と国の守護を願い、平安京の南の地に創建された神社です。
神苑「春の山」には150本のしだれ梅が咲き競い、別世界を作り出していました。
この記事の内容
院政の拠点だった城南離宮
王朝文化が花開く
城南宮の東側の入り口に東鳥居があります。写真の扁額には「城南離宮」と記されています。
神社なのに、なぜ、「離宮」なのでしょうか?
平安時代後期、院政を始めた白河上皇、鳥羽上皇は、城南宮を取り囲むように離宮を造営し、鳥羽離宮、城南離宮と呼ばれた、
そして、江戸時代には城南離宮を城南宮の社号のように用いていた
というのが理由のようです。
このあたりに雅な王朝文化が花開いていたんですね。
政治の舞台にも
城南宮は政治の舞台にもなっています。
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、 後鳥羽上皇を尾上松也さんが、北条義時を小栗旬さんが演じていましたね。
後鳥羽上皇はこのとき、流鏑馬(やぶさめ)の武者揃えを口実に城南宮に兵を募られたとのこと(このシーンはなかったと思いますが)。
また、明治維新の鳥羽・伏見の戦いは、城南宮の参道に置かれた薩摩藩の大砲がとどろいて始まったとのことです。
さすが、京都! 歴史があります。
方除の大社
城南宮は、方位の災厄から無事を祈る方除(ほうよけ)の大社として平安の昔から篤く信仰されてきました。
家の間取りや引越し、旅行、通勤、通学など、方位の厄除けにご利益がありそう。
優美すぎる! しだれ梅
城南宮は、本殿の四方を庭園が取り囲むような配置になっています。古の城南離宮の面影を残してくれているのでしょうか?
庭園は「神苑」と名づけられています。受付を済ませ、少し進むと現れました。
お目当てのしだれ梅です。
日本庭園もいい
「平安の庭」
「春の山」から本殿北側を抜けて東側の「平安の庭」へ進みます。
「室町の庭」「桃山の庭」「城南離宮の庭」
「平安の庭」からはいったん参道を横切り、本殿南側の「室町の庭」「桃山の庭」「城南離宮の庭」へと進みます。
写真は「室町の庭」のものです。
摂社・末社
摂社・末社をいくつか紹介します。
本殿は焼失後の1987年に再建されたものですが、摂社・末社は古びた社殿が歴史を感じさせてくれます。
御朱印「城南宮」
書き置きをいただきました。
●城南宮の基本情報
・ご祭神:城南大神
(八千矛神(やちほこのかみ)、息長帯日売尊(おきながたらしひめのみこと)、
国常立尊(くにのとこたちのみこと))
・創建:794年
・京都市伏見区
2023年3月8日(水)参拝(61歳0か月)