近江神宮は、かつて近江大津宮(おおつのみや)があったとされる琵琶湖西岸の地に鎮座しています。
この記事の内容
全国に16ある勅祭社の一つ
近江神宮は1940(昭和15)年に第38代天智(てんじ)天皇を祀る神社として創建されました。
戦後の1945年、昭和天皇が日本の復興を天智天皇に祈願され、勅旨により勅祭社となりました。
※勅祭社:例祭日などに天皇が使いを差し向け、御祭神に幣帛(へいはく・お供え物)を奉る神社
▼二の鳥居。こちらも木製。(振り返って撮影)
▼手水舎は大きな石を整形したようなつくり。
▼楼門
▼階段を上り、楼門をくぐると正面には外拝殿。
▼振り返って楼門を見る。
予報では曇りだったのですが、午後から晴れました~
▼狛犬
どちらも口を開けています。
「阿吽(あうん)」ではなく、「阿阿」の狛犬は清水寺の仁王門の前で見たことがあります。
●清水寺の記事はこちらです。↓
▼外拝殿へ向かいます。
▼階段を上ると正面に見えるのが内拝殿。
ここでお参りします。
内拝殿の後ろに本殿があるのですが、見事に見えませんでした~
▼回廊を右へ進んだ先に栖松遙拝殿(せいしょうようはいでん)があります。
天智天皇は何をした人?
6月10日は天智天皇記念日(?)
天智天皇は、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)のときに豪族の蘇我氏を滅ぼし、大化の改新と呼ばれる政治改革を断行、中央集権体制の確立に尽力された方です。
天皇としての実績は知らなかったので、調べてまとめてみました。
・近江大津宮に遷都し(667年)、翌年即位(在位は671年まで)
・近江令を制定(古代日本の最初の法典)
※近江令は存在しなかったという説や飛鳥浄御原(あすかきよみはら)令と同一とする説がある
・庚午年籍(こうごねんじゃく)を作成(日本最初の全国的戸籍)
など。在位3年ほどの短い期間にいろいろされてます。
・時刻制度を確立
日本書紀に「漏刻(ろうこく・水時計)を置く。始めて候時(とき)を打つ。鐘鼓(かねつづみ)を動(とどろか)す」という趣旨の記載があり、この日が6月10日。
そんなわけで、
「時の記念日」(6月10日)は、近江朝廷で時報が開始された日を記念して定められているのだそうです。
▼境内には「時計館宝物館」や日時計、水時計(写真撮り損ね)が設けられています。
▼古代火時計。中国で使われていた火時計の復元模型だそう(ロレックス社より寄贈)
短命に終わった近江大津宮
天智天皇の死後、子の大友皇子(おおとものおうじ)が弘文天皇として即位しますが、天智天皇の弟の大海人皇子(おおあまのおうじ)との間で後継者争いがおこり、壬申の乱(じんしんのらん)が勃発しました。
この乱で近江大津宮は焼失、都として存在したのはわずか5年という短い期間でした。
戦後の発掘調査により、近江神宮の境内は、近江大津宮の一角ないし隣接地に間違いないことが確認されているとのことです。
御朱印
伊勢神宮の御朱印帳
東京、神奈川、京都、奈良以外の超有名どころ、勅祭社、総本宮、総本山など用として購入。
蒔絵(まきえ)は、漆工芸の技法の一つ。漆で文様を描き、乾かないうちに金銀粉や色粉などを蒔きつけて付着させ、文様を表す技法。
御朱印
直書き、シンプルタイプでした。
●近江神宮の基本情報
・勅祭社/旧官幣大社/別表神社
・ご祭神:天智天皇
・創建:1940年
・滋賀県大津市
2023(令和5)年5月23日(火)参拝(61歳2か月)