痩せて粗末な着物をまとった人物が口から何やら吐き出している。それは、六体の阿弥陀仏。
この記事の内容
空也上人って、どんな人?
「念仏の祖」
みなさんは空也上人をご存じでしょうか?
法然上人が浄土宗を開くもっと前の時代、「南無阿弥陀仏」を称えて浄土教を広めた人物です。
教科書か資料集に載っていた(奇妙な?)空也上人像が印象に残っていました。
空也上人について調べて、簡単にまとめてみました。
・空也上人は浄土教の先駆者の一人とされる平安中期の僧侶(903~972年)。
・若くして諸国を遍歴し、自身は修業を積みながら、道、橋、井戸や池をつくるなどの社会事業を行い、荒野に死骸があれば集めて南無阿弥陀仏を称えて葬った。
・南無阿弥陀仏の念仏を称えて極楽浄土への往生を説いた。そのため空也上人は「念仏の祖」と言われている。
・空也上人は常に市民の中にあって伝道に励んだので、「市の聖(いちのひじり)」と呼ばれた(阿弥陀聖とも)。
貴族階級だけではなく、庶民にまで浄土教を広めたことが空也上人の功績ですね。
口から六体の阿弥陀仏が
▼パンフレットから拝借しました。
首から鉦(かね)を下げ、右手には鉦を叩くための撞木(しゅもく)、左手には鹿の角をつけた杖をもち、草鞋履きで歩く姿です。
運慶の四男康勝(こうしょう)の作。
空也上人が念仏を唱える口から六体の阿弥陀が現れたという伝承に基づいて製作されているとのこと。
重要文化財に指定されています。
重文指定の木像が多数!
六波羅蜜寺の令和館(宝物館)には、空也上人立像のほか、平清盛坐像や、如来・菩薩・天の像など、平安・鎌倉期に製作されたすぐれた木像が多数安置されています。
間近で、ゆっくり拝観でき(←私が行ったときは空いてました)、そんなに長くはありませんがよい時間を過ごせたように思います。(拝観料600円)
六波羅は平氏の根拠地だった
「六波羅」というと、私は六波羅探題を思い浮かべるのですが、六波羅蜜寺があるこのあたりはかつて六波羅と呼ばれ、平清盛をはじめ平氏一門の館が建ち並んでいたところだったそう。
その後、承久の乱で鎌倉幕府軍を率いた北条泰時、時房(トキューサ!)が六波羅に駐留し、乱後の処理にあたったのが六波羅探題の起源とのことです。
※六波羅探題:鎌倉幕府が設置した機関。公家の監視、京都の警護、西国御家人の統率などの任にあたった。鎌倉末期、足利尊氏に攻められ、滅亡
御朱印「六波羅堂 」
直書きです。「六波羅堂 執事」と書いてあります。
●六波羅蜜寺の基本情報
・真言宗 智山(ちさん)派
・山号:補陀洛(ふだらく)山
・御本尊:十一面観音
・創建:951年
・文化財:国宝・国指定重要文化財
・京都市東山区
2023(令和5)年3月31日(金)参拝(61歳0か月)