【大阪・日本国宝展】 頼朝の 着物に柄を 見つけたり
6月4日。大阪市立美術館で開催されていた「日本国宝展」を観覧しました。
「日本国宝展」は大阪・関西万博開催記念、大阪市立美術館リニューアル特別展として企画されたもの。(会期:4月26日~6月15日)
同時期に京都・奈良でも国宝展が開催されましたが、展示内容からしていちばん見たかったのが大阪の「日本国宝展」でした。

6/3以降の展示に見たいものが多くあり、6/4に観覧。
以下、特に印象に残った展示をピックアップしました。(画像は図録、チラシから拝借させていただきました)
▼慧可断臂図 (えかだんぴず)/雪舟筆/室町時代 1496年

禅宗の祖・達磨大師に弟子入りを願う慧可(えか)という中国人僧が、自らの左腕を切り落として覚悟を示した場面を描いたもの。
雪舟77歳のときの作品で、人物図の代表作。
達磨大師は中国の少林寺で無言のまま9年間!、壁に面して座禅を組み、悟りを開いたという驚異的な忍耐力を持つ人物(面壁九年)。
それで手足が腐ってなくなってしまったという伝説の持ち主です。

達磨大師の顔、迫力があった。

▼唐獅子図屏風(六曲一双)右隻/狩野永徳筆/桃山時代 16世紀

狩野永徳の金碧障壁画の代表作。
※金碧(きんぺき)障壁画:障子(現在のふすま)や壁面に、金箔、金泥、金砂などを地として群青、緑青などの色彩で描いたもの。濃絵(だみえ)とも呼ばれる。
▼燕子花図屏風(六曲一双)/尾形光琳筆/江戸時代18世紀

唐獅子図屏風と同じく、金地の屏風絵。
こちらは群青、緑青の2色のみの色使い。シンプルな絵柄に何か惹かれるものを感じます。
▼火焔型土器/縄文時代中期(約5400~約4500年前)

縄文の人、凝っている。
▼土偶(縄文のビーナス)/縄文時代中期(約5400~約4500年前)

これをつくった人、どうしたらこんなフォルムになるのか。
見ていたときは気づいていなかったけれど、顔はハート形。粘土に含まれた雲母がきらめいている。

これのみ撮影可になっていました。銅製。
水煙とは、仏塔(薬師寺の場合、三重塔)の最上部にある火焔状に透かし彫りされたもの。木造建築においては火を嫌うことから「水煙」という。

4枚が十字に組まれ、それぞれに3体の飛天が舞う姿があしらわれています。図録の解説では、3体を上から順に眺めると、「天から舞い降りる過程を示すかのように映る」とのこと。


水煙は高い位置にあって遠目で見る程度ですが、間近に見られてよかったです。
▼金光明最勝王経(こんこうみょうさいしょうおうきょう)/奈良時代 8世紀

紫の用紙に金字で書かれた金光明最勝王経は、聖武天皇の命により諸国の国分寺に各1部10巻納められたもの。
天平時代、官立の経所には写金字経所があり、一般の経所とは区別され、すぐれた写経生が配置されていたそうです。こちらは天平写経中の卓越した名品とのこと。
昨年(2024)秋に奈良市内のお寺巡りをして、聖武天皇(と光明皇后)関連のことを少し調べたりしていたので、この展示にはひかれました。

いちばん感動したのがこれ。
理由は二つ。
一つは、思いのほか大きかったこと。教科書で見て、そんなに大きくないものを勝手に想像していたらしく、実物の大きさに単純に驚いてしまった。実物はほぼ等身大サイズ。
もう一つは、着物に柄があったこと。無地だと思っていたので、実物にうっすらとした文様を認めたときは感動してしまいました。
伝源頼朝像、伝平重盛像、伝藤原光能像を総称して「神護寺三像」といい、日本肖像画史上の最高傑作とされています。
「神護寺三像」は、1979~80年に行われた保存修理の際、過去の修理で塗布されたとみられる糊のような被膜が除去され、不鮮明だった絵画表現が鮮明に浮かび上がりました。袍(ほう=衣冠束帯のときに着る上着)の黒い薄物の「文様の割り付け線までもが視認できるようになった」とのことです。
修復技術の進化がもたらした成果ですね。

▼赤韋威鎧(あかかわおどしよろい)/平安時代 12世紀

感想は一言、「かっこいい」。
騎馬武者が用いた大鎧。札(さね)同士をつなぐ部材である威毛(おどしげ)に赤く染めた革が用いられている。
※札:甲冑を構成する短冊状の小さな板。革または鉄製。小札(こざね)とも。
▼国清寺求法目録/857年

中国・唐に渡った延暦寺の智証大師円珍が長安で入手した密教経典などのリスト。経典類341本772巻は帰国後に成果物として国などに提出された。写経生によって書かれ、円珍が最後にサインをしている。
なぜ、これに反応したかと言うと・・・
この頃『天平の甍』(井上靖著)を読んでいました。唐に渡った業行(ぎょうこう)という日本人僧が数十年ひたすら経典を書き写す日々を過ごし、それらを日本に持ち帰ることに人生を賭けている。勉学に励む主人公の普照(ふしょう)に対して、「自分がいくら勉強してもたいしたことはない。いま日本で一番必要なのは、一字の間違いもなく移されたもの(経典など)だと思う」などと言う。日本に帰る船内では、難破しそうになった時に捨てられないよう書写した経典を入れた夥しい数の箱から片時も離れなかった。
と、まあ、こんなものを読んでいたので「おー、これだ~」みたいな感じで食いついたというわけです。(時代は違いますが)
以上、印象に残った展示品は、美術品そのものの価値からというより、自分の今の興味からのものが多くなりました。
他の展示もじっくり見たので、少しは得るものがあったんじゃないかな、などと思っています。

2025(令和7)年6月4日(63歳4か月)