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神社仏閣めぐり初心者が始めた「なるほど」参拝紀行

【奈良・興福寺】宝物に 往時をしのぶ 南都の雄|60歳からの御朱印めぐり〔091/541〕

興福寺_中金堂

興福寺(こうふくじ)は藤原氏の氏寺として発展し、かつて強大な勢力を誇った寺院。国宝指定の建造物・寺宝を数多く有します。

この記事の内容

興福寺へ向かう

元興寺の次は興福寺へ向かいました。元興寺と同様、世界遺産です。

元興寺東門から興福寺へのルート

興福寺route

徒歩約9分で到着しました。(近鉄奈良駅からは徒歩約5分)

興福寺_境内

▼階段を上ると、南円堂。

興福寺_南円堂

南円堂(重文)

興福寺_南円堂

南円堂は、藤原北家繁栄の基礎を築いた藤原冬嗣(ふゆつぐ)の建立。

興福寺藤原氏の氏寺として発展した寺院です。

興福寺の歴史

藤原不比等が創建

興福寺は平城遷都にともない710年に当地に造営されました。
(前身は山階寺(京都)→(飛鳥に移転して)厩坂寺

創建したのは藤原不比等(ふひと)です。

不比等は、大化の改新で功績をあげた藤原(中臣)鎌足(かまたり)の子。10代あとが道長です。

有名な大宝律令の編纂に参画したり、平城京遷都を推進するなど活躍。

娘を天皇に嫁がせて外祖父(母方の祖父)となり、藤原氏繁栄の基礎をつくりました。

ちなみに、

前日観覧した正倉院展の宝物類は、不比等の娘・光明皇后が夫・聖武天皇の遺愛の品を献納したものがその起こりです。

正倉院正倉

正倉院正倉

「奈良法師」と恐れられる

創建後、藤原氏のほか、天皇や皇后などにより伽藍が造営され興隆。

平安時代神仏習合が進むと、藤原氏氏神である春日社(現・春日大社)を配下に置き、春日の神木をかかげてたびたび強訴(ごうそ)。

僧兵団を組織し、自らの要求を強引に認めさせようとして朝廷を悩ませました。

南都北嶺(南都=興福寺、北嶺=比叡山延暦寺)と呼ばれ比叡山の「山法師」と並んで興福寺の僧兵は「奈良法師」と恐れられました。

⇒軍事力を兼ね備えた超強力圧力団体?

大和一国を支配

興福寺は、藤原氏が繁栄するにつれて社会的・経済的に隆盛となり、大和国(現在の奈良県)の荘園のほとんどを領有

藤原氏の勢力が衰えた鎌倉時代以降も鎌倉幕府室町幕府大和国に守護を置くことができず、興福寺がその任に当たり大和国を支配し続けました。

⇒もはや、独立国?

南都焼き討ちと鎌倉期復興

平安時代末期、打倒平家に各地の源氏が立ち上がると、興福寺も源氏に加勢。

平重衡(しげひら=清盛の子)による南都焼き討ちにあい、東大寺とともに伽藍のほとんどを焼失しました。

現存の興福寺の建物はすべてこの火災以後のものであり、仏像などの寺宝類も現存するものは鎌倉復興期に制作されたものが多いとのこと。

廃仏毀釈」により廃寺の危機

明治維新の「神仏分離」「廃仏毀釈」により、興福寺は壊滅的な打撃を受けました。

僧侶は還俗して春日社の神職になり、堂宇や仏像の破壊・撤去が進められ、境内地は没収され奈良公園になるなど、一時は廃寺同然となりました。

⇒いつも思うけど、文化破壊のようなことはやめてほしかった。

世界遺産に登録

その後再興され、1998年には世界文化遺産古都奈良の文化財」の構成資産として登録されました。

現在、「天平の文化空間の再構成」を合言葉に整備事業が進められています。

天平の文化空間」再構成中

南円堂の次に中金堂を拝観しました(拝観料大人500円)。

興福寺_中金堂

中金堂

建物もご本尊(釈迦如来)なども新しい感じがしました。

中金堂は「興福寺整備計画」に基づいて復元され、2018年に創建当初の姿でよみがえったとのことです。

興福寺_中金堂

興福寺_中金堂

▼境内のすぐ脇にビルを建設中?

興福寺_五重塔

かと思いきや、五重塔(国宝)の修理工事中でした~~見れなくて残念。

工事完了は令和13年3月(予定)。そのとき自分は69歳。元気だったらリベンジしたい(かな?)。

▼北円堂

興福寺_北円堂

北円堂(国宝)

興福寺_北円堂

北円堂は、日本に現存する八角円堂のうち最も美しいとされるのだそう。

朱色もらしくていいけれど、最近はこういう渋いのが好み。特に、焦げ茶色。

藤原不比等の一周忌に建立され、鎌倉時代(1210年)に再建。興福寺に現存する堂宇のうちもっとも古いものであり、国宝に指定されています。

春季・秋季に特別開帳されますが、参拝当日は閉じられていたので柵のすき間から撮影。その割にはよく撮れた。

▼東金堂(国宝) ※閉堂中

興福寺_東金堂

興福寺に来たら国宝館を見よう

最後に国宝館を拝観しました(拝観料大人700円)。

興福寺_国宝館

撮影不可だったので、入手したパンフレットからいくつか紹介します。

以下、いずれも国宝です。

▼阿修羅像【八部衆】(奈良時代

三面六臂天平彫刻の傑作だそう。

金剛力士立像(鎌倉時代)/銅造仏頭(白鳳時代685年)

右の仏頭は歴史の教科書に載っていた。実物を見られて感激です。

興福寺のHPには、鎌倉再興期に飛鳥の山田寺から迎えられたと記載されていますが、「コトバンク」などには興福寺の衆徒が「強奪」したという趣旨の記載がありました・・・興福寺パワーすご過ぎ。

▼天燈鬼・龍燈鬼立像(鎌倉時代)/千手観音菩薩立像(鎌倉時代

右の千手観音は像高5m超え。迫力がありました。

十二神将像(平安時代

おもろい。

東大寺ミュージアムも見応えがあったけど、こちらも相当よかった。

興福寺へ来られた際は、ぜひ国宝館の拝観を。

東大寺の記事(2023年5月参拝)はこちらをご参照ください。↓

pirooh.hatenablog.com

御朱印「中金堂」

御朱印は数種類あります。「中金堂」のものを御朱印帳に書いていただきました。

興福寺_中金堂御朱印

 

興福寺の基本情報

法相宗 大本山
・御本尊:釈迦如来
・創建:710年
・開基:藤原不比等
文化財(建造物):国宝、重要文化財世界文化遺産
奈良県奈良市

2024(令和6)年11月12日参拝(62歳9か月)