奈良の斑鳩(いかるが)にある法隆寺は聖徳太子ゆかりの寺。今回の奈良旅のいちばんの目的地は法隆寺でした~
この記事の内容
聖徳太子は何をした人?
太子は日本の最古の成文法とされる憲法十七条を定めました。
その第二条で「篤く三宝(仏法僧)を敬へ」と仏教を重んじることを説き、その後の日本仏教に大きな影響を与えた人物です。
個人的には、当時の中国皇帝に「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。」と書いた手紙を渡し、大帝国の中国と対等であることを示した話が好きですね~
聖徳太子がいなかったら日本が中国の属国になっていた、なんてことはあったのでしょうか?
北条時宗が元(モンゴル帝国)の使者を斬ってモンゴルに服属しない姿勢を示したのも、聖徳太子以来の独立国としての気概があったからなのでしょうか?
※北条時宗(ときむね):鎌倉幕府第8代執権。モンゴル襲来に対処した
話がそれてしまいましたが、境内紹介にいきたいと思います。
↓ 参道の先に南大門が見えてきました。
↓ 境内に入ると五重塔が見えてきました。
↓ 五重塔の手前にあるのが中門。こちらも国宝です!
日本最初の世界遺産
世界遺産登録を記念する石碑がありました。
写真では見えづらいですが、「日本最初の世界文化遺産 法隆寺 平山郁夫 書」と書いてあります。
※平山郁夫:(故人)日本画家、東京芸術大学学長。法隆寺金堂壁画の再現模写などにも携わった
法隆寺は1993年、「法隆寺地域の仏教建造物」として日本で初めて世界文化遺産に登録されました。
この年は一気に4件の世界遺産登録があったんですね。(めでたい!)
他3件は姫路城(世界文化遺産)、白神山地、屋久島(世界自然遺産)です。
世界最古の木造建築:西院伽藍
中門
中門には金剛力士(仁王)像が安置されています。
仁王像
法隆寺の仁王像は日本最古のものだそう(8世紀初)。
↓ 青い肌がちょっと怖い。
ここ西院(さいいん)伽藍は、670年に焼失後、8世紀初めまでに再建され、金堂・五重塔・中門・廻廊は現存する世界最古の木造建築です。
法隆寺式伽藍配置
西に五重塔、東に金堂が並ぶ配置は、法隆寺式伽藍配置というのだそう。
美形の五重塔
↑ いちばん下の庇(ひさし)状のものは裳階(もこし)というもの。
裳階が何のためにあるのかは説明を読んでもよくわかりませんでした~(-_-;)
屋根の大きさは上にいくほど小さくなりますが、この小さくなる割合(逓減率)が大きいのが法隆寺五重塔の特徴。
五層めの屋根の一辺は初層の屋根の約半分になっているとのこと。
↓ この写真がわかりやすいかな。屋根の端を結んだラインがきれい。
↓ 東寺の五重塔と比べてみました。
並べてみると違いがよくわかりますね。
大講堂
薬師三尊像(国宝)と四天王像(重要文化財)を拝観できます。
金堂
金堂は法隆寺の本堂です。
金堂にも裳階がついてますね。金堂と五重塔の裳階が日本最古のものなのだそう。
↓ 金堂の彫刻。
↓ こちらは五重塔の彫刻。
聖霊院
お堂の内部は撮影禁止なので、飾ってあった写真を撮ってよいかと受付の方に聞いてもダメで、わざわざ私のために出してくださって撮ったのが下の写真(写真の写真)。↓
中央が聖徳太子像。脇侍の像も国宝とのこと。
こちらで御朱印をいただきました~
子規は柿が大好物であったらしい。
大宝蔵院
大宝蔵院は法隆寺の寺宝を保管、公開している建物です。
やはり内部の撮影はNGなので、パンフから拝借して紹介します。↓
すらりとしたお姿の百済(くだら)観音像(国宝)。八頭身(Wikipediaでは九頭身)で、日本の仏像には珍しいそう。世界的にも有名らしい。
教科書でよく見る聖徳太子の絵や玉虫厨子(たまむしのずし)もありました~
「夢殿」を中心とする東院伽藍
東院伽藍へ向かいます。
東院伽藍は聖徳太子一族の住まいであった斑鳩宮の跡に建てられました。
鳳凰の手水舎
鳳凰の手水舎は初めて見ました。
夢殿
夢殿は聖徳太子等身の御影(みえい)と伝えられる救世(ぐぜ)観音像を安置する八角円堂。
舎利殿は、聖徳太子が2才の春に合掌した手のひらの中から出現したという舎利を安置する。
↓ 一通り見終わったので西院伽藍のほうに戻ります。
↓ 西院伽藍の西にある三経院・西室。
こちらも国宝。
↓ 少し小高くなったところにある西円堂(国宝)。
御朱印
読めますか?
「以和為貴」です。
「和を以て貴しとなす」。憲法十七条第一条の有名な言葉です。
●法隆寺の基本情報
・聖徳宗 総本山
・山号:なし
・御本尊:釈迦如来
・創建:伝・607年
・開基:推古天皇、聖徳太子
・文化財:国宝、重要文化財/世界遺産
・奈良県生駒郡斑鳩町(JR奈良駅から11分+バス8分)
2023(令和5)年5月24日(水)参拝(61歳2か月)