奈良といえば大仏さん。東大寺の大仏は日本一大きい。でも、大きいのは大仏だけではなかった・・・
この記事の内容
東大寺の歴史
人口の約半数!が協力
東大寺は華厳宗 (けごんしゅう)の大本山。奈良時代に聖武天皇により建てられました。
大仏と大仏殿の造立にはのべ約260万人、当時の人口の約半数!が協力したそうです。(奈良市観光協会HPより)。
国家を挙げての壮大なプロジェクトだったんですね。
2度の焼失と再建
東大寺は兵火により平安時代末期と戦国時代の2度大きく焼失し、再建されました。
●鎌倉期再建
平重衡(しげひら・清盛の子)の南都焼討により、大仏殿をはじめ伽藍の大半が焼失。
鎌倉時代に入り、復興が進められました。
●江戸期再建
戦国時代の争乱によりわずかな建物を残し灰燼に。復興は進まず、大仏は120年間雨ざらし。
17世紀後半に江戸幕府の支援を受け、復興が進みました。
●世界遺産に登録
18世紀後半には現存の寺観が整えられ、現在、東大寺は「古都奈良の文化財」の一つとして世界文化遺産に登録されています。
東の大きい寺
「東大寺」の名称は「平城京の東にある大きい寺院」の意味に由来します。その名が示す通り、スケールの大きなお寺です。
迫力半端ない!日本最大の仁王さま
東大寺の正門である南大門へ向かいます。
南大門は高さが約25メートルある日本最大の仁王門。鎌倉時代の再建です。
↓ 門に入ってびっくり。巨大な仁王さまがおられました~
高さ約8.4メートル! 日本最大の金剛力士像(仁王像)です。
迫力が超絶すごい。こちらも国宝です。
一般的な右:阿形、左:吽形ではなく、左右逆の配置になっています。
運慶・快慶らが寄木造の手法を用いてわずか69日間で製作したとのこと。
※運慶・快慶(うんけい・かいけい):鎌倉彫刻を代表する仏師(仏像制作に従事する人)
※寄木造:仏像の各部を別々に彫刻し、組み合わせて1つの仏像をつくる手法
●日本最古の石造狛犬
南大門の大仏殿側には、狛犬(獅子像)があります。
この狛犬は石製としては日本最古(1196年製作)のものとのこと。
仁王さまから比べると地味だけど、重要文化財。
両方とも口を開けたこの狛犬さんは、京都・清水寺にある狛犬のモデルになったらしいです。
狛犬の由来などについて清水寺の記事にまとめていますので、ご興味のある方はどうぞ。↓
世界最大級!の木造建築・大仏殿
南大門から大仏殿(金堂)へ向かいます。
廻廊の左側にある入口へ進みます。
受付を済ませて中に入ると、大仏殿が見えてきました。
間口57メートル、高さ48.7メートルの日本最大、世界最大級!の木造建築物。江戸時代の再建です。
20世紀以降に近代的工法で建てられた木造建築に大仏殿を上回る大きさのものがあるらしい(Wikipedia)。それで、「世界最大」ではなく「世界最大級」と表記しているみたいだが・・・「世界最大」でいいじゃん!・・・やっぱり無理か
世界最大の金銅仏
大仏さんとご対面で~す。
廬舎那仏は東大寺のご本尊。華厳経の教主です。知慧と慈悲の光明を遍く照し出す仏さまとのこと。
像の高さは約15メートル! 日本一大きい大仏、世界最大の金銅仏です。
もとは金色に輝き、頭の螺髪(らほつ)が青く、唇は赤色だったらしいです。インパクト強そう~
施無畏印は「恐れなくてもよい」と相手を励ますサインなんだそうです。
中指を少し前に出すんですね。
手の大きさは縦約3メートル!
大仏殿の中を右回りにひと回りできるようになっています。
脇侍の虚空蔵菩薩像もでかい。
↓ 四天王のうち未完成に終わった持国天、増長天の頭部が大仏殿に置かれているとのこと。下の写真はどちらのものかわかりません(-_-;)
与願印は、人々の「願いをかなえる」ことを表しているそうです。
大仏殿を出ました。
大仏殿を後にします。未練がましくもう1枚。
このあと三月堂などをめぐるのですが、いったんここまでとさせていただきます。
後編もよろしくお願いします。
御朱印
御朱印帳
御朱印「華厳」
大仏殿の中でいただきました。直書きです。
●東大寺(金光明四天王護国之寺)の基本情報
・華厳宗 大本山
・山号:なし
・御本尊:盧舎那仏
・創建:8世紀前半
・開基:聖武天皇/開山:良弁(ろうべん)
・文化財:国宝、重要文化財/世界遺産
・奈良県奈良市
2023(令和5)年5月24日(水)参拝(61歳2か月)