浄妙寺(じょうみょうじ)は鎌倉五山5位の禅宗寺院。鎌倉五山の中では唯一、足利氏ゆかりの寺院です。
※2022年11月参拝
この記事の内容
鎌倉五山5位の禅刹
鎌倉五山とは?
「五山」とは禅宗(臨済宗)の5つの大寺院のことであり、格付けがされています。
「鎌倉五山」と「京都五山」とがあり、五山の上に京都の南禅寺が別格上位として置かれています。
鎌倉五山の順位は以下です。↓
●鎌倉五山
1位:建長寺 2位:円覚寺 3位:寿福寺 4位:浄智寺 5位:浄妙寺
鎌倉五山では、浄妙寺以外は北条氏または源氏を開基としますが、浄妙寺のみ足利家の武将が創建した寺院です。
きれいに整った境内
七堂伽藍と23の塔頭寺院を有する大寺院となり、14世紀後半、鎌倉五山5位とされ最盛期を迎えました。
その後火災で焼失し、現在は山門、本堂、庫裏などの構成となっていて、境内は国の史跡に指定されています。
↓ 参道脇の庭のようす。
↓ 本堂です。
内部拝観はないようですが、本堂の中を撮影できました。
↓ 本堂前の大銀杏。
黄葉の時期にはとても美しい景色になるようですが、少し早かったようです。
↓ 喜泉庵(きせんあん)という茶室があり、枯山水庭園を眺めながら抹茶とお菓子をいただけます。(拝観料100円(←良心的!)とは別途)
人が少なかったこともあると思いますが、静かで落ち着く、きれいなお寺という印象を受けました。
足利家第2代当主が創建
浄妙寺を創建したのは足利家第2代当主の足利義兼(よしかね)という人物。室町幕府を開いた足利尊氏の6代前の祖先にあたります。
さらに3代さかのぼった義兼のひいおじいさんが、武家の棟梁と仰がれた河内源氏の嫡流、八幡太郎義家(源義家)となります。
義兼は源頼朝が平氏打倒をめざして挙兵をした早い段階から頼朝に従い、平氏追討や奥州合戦などで戦功をあげました。
※奥州合戦:源頼朝が奥州藤原氏を滅ぼした戦い
足利氏は源氏一門のため、頼朝政権の中で当初高い地位にありましたが、平氏滅亡後、源氏一族が粛清されていく中で義兼は出家。
鎌倉を離れ、下野国足利荘(現・栃木県足利市)に隠棲したといいます。
これは足利家を存続させるための処世術だったと考えられているようです(Wikipediaより)。
このあたりの機微は大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を見た方なら納得かもしれません。
●足利貞氏公のお墓
境内の奥には墓地があり、一般の方のお墓の近くに足利貞氏(さだうじ)のお墓がありました。
足利貞氏は尊氏のお父さん。直前に参拝した報国寺の開基・家時(いえとき)の子に当たる人物です。(家時→貞氏→尊氏)
この家時、貞氏の頃から鎌倉幕府や東国武士社会において「源氏将軍」を擁立する動きがあり、源氏の血筋の足利家が北条氏に次ぐ存在になっていたらしいです。(Wikipediaより)
尊氏が鎌倉幕府打倒に立ち上がったのは、貞氏が亡くなった2年後のことです。
●足利直義公のお墓
↓ こちらは足利直義(ただよし)のお墓です(写真左側)。
報国寺でも見た「やぐら」がここにもありました。
足利直義は尊氏の弟。直義は尊氏とともに六波羅探題を攻め滅ぼし、室町幕府が開かれた当初は尊氏との二頭政治を行っていましたが、その後対立、尊氏に攻められて降伏、鎌倉の地で亡くなりました。尊氏に毒殺されたとも言われています。
二人の関係は、源頼朝・義経兄弟を思い起こしますね。両雄並び立たずということでしょうか。
御朱印
直書きです。
●浄妙寺の基本情報
・臨済宗 建長寺派
・山号:稲荷山(とうかさん)
・御本尊:釈迦如来
・創建:1188年
・神奈川県鎌倉市
2022(令和4)年11月16日(水)参拝(60歳8か月)