541こ・む

神社仏閣めぐり初心者が始めた「なるほど」参拝紀行

【鎌倉・建長寺(前編)】大禅寺 鎌倉一の 威容かな |60歳からの御朱印めぐり〔020/541〕

建長寺_三門

ついに来ました、建長寺鎌倉五山第一位にふさわしく、堂々たる陣容の見どころの多い寺院です。※2022年11月参拝

この記事の内容

 

鎌倉五山第一

この日は宿泊先の大船からバスで向かいました。

乗車時間は12~14分、バス停からは徒歩約4分の行程。北鎌倉の観光(参拝)には大船は割と便利かも。

建長寺_天下門

天下門

建長寺_総門

総門

新興の禅宗の拠点

建長寺は日本最初の本格的な宋風の禅道場として開かれました(1253年)。

中世では、1つの寺院でいくつかの宗派を兼ねているケースが多く、建長寺のように1寺1宗というのは珍しかったとのこと。

日本で最初に「禅寺」と称したのが建長寺なのだそうです。

栄西が日本に伝えた臨済宗は、京都では延暦寺などの既存勢力から排斥されますが、鎌倉では受け入れられ、建長寺は鎌倉禅の中心となりました。

建長寺_参道

鎌倉五山とは?

というわけで、建長寺鎌倉五山第一位に列せられています。

「五山」とは禅宗臨済宗)の5つの大寺院のこと。格付けがなされています。

鎌倉五山」と「京都五山」とがあり、五山の上に京都の南禅寺が別格上位として置かれています。

鎌倉五山の順位は以下です。↓

鎌倉五山
1位:建長寺 2位:円覚寺 3位:寿福寺 4位:浄智寺 5位:浄妙寺

建長寺_三門

↑ 三門(重要文化財)↓

建長寺_三門

武家の都・鎌倉の禅寺らしく質実剛健

北条時頼はどんな人?

建長寺を創建したのは鎌倉幕府第5代執権・北条時頼(ときより)。

3代執権・泰時の孫、8代執権・時宗の父にあたる人物です。

御成敗式目を制定した泰時、元寇に対処した時宗と比べると地味な印象がありますが・・・どんな人だったのでしょう?

したたか

・当時最大のライバルだった三浦氏を滅ぼし(宝治合戦)、幕府における北条氏の権力を確固たるものにした

公正な政治

・土地をめぐる裁判の公正を図り(引付衆の設置)、京都大番役の期間を半年から3か月に短縮するなど御家人の負担軽減を図った

また、農民の保護に努めるなどの善政を行い、名君との評価もある

・最明寺にて出家後(最明寺殿、最明寺入道と呼ばれた)、水戸黄門のように姿を変えて諸国を見て回り、勧善懲悪、弱者の救済を図ったという伝説もある

信仰心が篤い

・時頼は質素かつ堅実な人物で、禅宗を深く信仰し、中国・宋の蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)を迎え、建長寺の開山とした。

⇒公正さとしたたかさを兼ね備えたなかなかの人物だったようです。

▼仏殿の前には、蘭渓道隆お手植えの柏槇(ビャクシン)があります。

建長寺_柏槇

柏槇の巨木(幹回り6.5m、高さ13m)

この柏槇は、蘭渓道隆が宋からもってきた種を創建の際にまいたと伝わるもので、推定樹齢は約760年。

創建の当初から生きてきたんですね~

ちなみに、柏槇は禅寺を象徴する樹木。庭園や寺社によく植えられているらしい。(円覚寺にもあった)
※柏槇:ヒノキ科の常緑低木ないし高木

「お地蔵さん」について調べてみた

仏殿では建長寺のご本尊・地蔵菩薩坐像を拝めます。

仏殿(重要文化財

地蔵菩薩はいわゆる「お地蔵さん」。

建長寺のような大寺院のご本尊が「お地蔵さん」というのは最初違和感があったのですが・・・

よい機会なので調べてみました。

56億7000万年!の間、人々を救い続ける

地蔵菩薩は、釈迦が入滅してから56億7000万年後に弥勒(みろく)菩薩が成仏するまでの無仏の時代に六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天)の衆生を救うとされる。

地蔵信仰とは?

・日本では平安時代末法思想・浄土信仰が広がる一方、極楽浄土に往生の叶わない衆生は必ず地獄へ堕ちるとの信仰も強まり、地蔵菩薩に対して地獄での苦しみからの救済を求める信仰が広まった。

・日本の民間信仰では、子どもの守り神として信じられ、また、道祖神と習合したため、全国の路傍で石像が数多く祀られている。交通が発達していない時代では大きなお寺へ参詣することができず、簡易な参拝ができる身近な仏像として崇敬を集めた。

⇒「お地蔵さん」のイメージは民間信仰から来ていて、本来の地蔵菩薩は56億7000万年の間人々を救い続けるという、働き者のありがたーい菩薩さまなんですね。

建長寺地蔵菩薩坐像はたいへん迫力のある素晴らしい仏像です。一見の価値あり!と思います。

建長寺_伽藍

右手前から仏殿、法堂、大庫裏

建長寺の伽藍は総門、三門、仏殿、法堂、大庫裏が一直線上に並んでいます。

龍図が描かれるのはなぜ?

仏殿に続いて法堂(はっとう)でお参りします。

建長寺_法堂

法堂(重要文化財)。木造建築としては関東で最大級

法堂では千手観音を拝めます。

▼天井には「雲龍図」が。

建長寺_雲龍図

建長寺の創建750年を記念して、小泉淳作(じゅんさく)画伯によって描かれました。

小泉画伯は京都・建仁寺法堂の双龍図も描いておられます。↓

建仁寺_双竜図

双龍図(京都・建仁寺法堂)

法堂の天井にはよく龍図が描かれます。これは、仏教において龍神」が法の雨(仏教の教え)を降らせると考えることから、法を説く場である法堂の天井に描かれる、ということのようです。

このあたりのことは建仁寺の記事で少し詳しく書いていますので、ご参照ください。
↓ 

pirooh.hatenablog.com

法堂を出ると次は唐門と大庫裏です。

建長寺_唐門_庫裏

唐門は方丈の正門です。

建長寺_唐門

唐門(重要文化財)。後ろに見えるのは方丈の屋根

建長寺_唐門

建長寺_唐門

瓦の先に北条氏の家紋「三つ鱗(みつうろこ)」が見える

この唐門、気に入っていたようで何枚も撮っているのですが、このくらいにしておきます。

前編はここまでとし、続きは後編で(御朱印も)。次もよろしくお願いします。


建長寺
の基本情報

臨済宗 建長寺派 大本山
山号:巨福山(こふくさん)
・御本尊:地蔵菩薩
・創建:1253年
・開基:北条時頼/開山:蘭渓道隆
文化財:国宝、重要文化財
・神奈川県鎌倉市

2022(令和4)年11月25日(金)参拝(60歳8か月)