(【日光東照宮_2】より続く)
陽明門を入ると、御本社が現れます。
東照大権現を祀る御本社
家康公を祀る御本社は、拝殿・石の間・本殿が連結された権現造の複合社殿です。
本殿はこの位置からは見えません。
唐門:白色は日本人形にも使われる胡粉
唐門は御本社の正門です。
白く塗られている部分には「胡粉(ごふん)」という東洋画の白色顔料が用いられています。
カキ殻を原料とするもので、日本画や日本人形のほか、建築物の彩色にも多く使われるものです。
陽明門の白い部分も胡粉塗りです。
唐門にも多くの彫刻が施され、その数は陽明門より多い611です。
神輿舎:黒塗りに金が映える
陽明門を入って左奥には神輿舎(しんよしゃ)があります。
黒(漆塗り?)基調のきれいな建物です。大いに感動しました。
▼三基の神輿(みこし)が納められています。
中央が徳川家康公、向かって右が豊臣秀吉公、左が源頼朝卿の神輿です。
▼屋根の下には虎の彫刻。
虎は徳川家康公の干支です。(自分も! 関係ない!!)
●神楽殿(重文)
右手には神楽殿。
「眠り猫」は平和の象徴?
行列ができていたのでとりあえず並び、流れに任せて進むと、奥宮(家康公の墓所)へ向かう人の列と判明。
拝殿に向かって右、東回廊の奥社参道入り口にあるのが「眠り猫」です。
左甚五郎の作と伝えられています。
※左甚五郎:江戸初期の伝説的名工。宮大工の棟梁、宮彫の名人として名をはせ、日光東照宮の「眠り猫」、上野東照宮の「昇り竜」などの作者とされる
「眠り猫」の裏側には、竹林に遊ぶ2羽の雀の彫刻があります。
「眠り猫」は、耳を立て、前足を踏ん張っているような姿から、寝たふりをして雀を狙っている、家康公の墓所への入り口にあることからお墓の番をしている、との解釈があります。
一方で、猫が寝ているから雀が遊べる、平和な時代の訪れを意味しているという説もあります。
現在は、後者が定説となっているようです。
▼「眠り猫」のある東回廊を出ると、坂下門(重文)があります。
坂下門は奥宮へ通じる門です。
江戸時代に奥宮へ参拝できたのは将軍家のみだそうです。
▼坂下門から先、奥宮へは207段の石段を上ります。
年輩の方も(自分も!?)頑張って上っておられました。
奥宮:家康公の墓所
拝殿から右へ、反時計回りに家康公の墓所を一回りできるようになっています。
家康公の柩が納められています。昭和40(1965)年に初めて公開されました。
▼一回りして階段を降り、坂下門の手前まで戻ってきました。
▼本殿らしきものを発見。
中央やや右、千木が見えるのが恐らく本殿。
国宝の御本社を内部拝観
坂下門から東回廊をくぐり、御本社を見ると本殿が見えました。
東照宮の御本社は、拝殿と本殿を石の間でつないだ権現造の社殿であり、国宝指定を受けています。
権現造の名称は東照大権現に由来しますが、権現造自体は、平安時代に北野神社(天満宮)で初めて用いられたものです。
豊国廟、東照宮が採用して以来、近世神社建築に多く用いられるようになりました。
「石の間」は板の間だった
石の間は板の間だ御本社の中に上がり、内部拝観(拝殿と石の間)できます。
石の間は、拝殿から3~4段の階段を下りた一段低いところにあり、石敷きではなく板敷でした。(神社によっては石敷きのところもある)
案内の人が来られて、拝殿の格天井には狩野探幽とその一門が描いた100匹の龍の絵があり、1枚1枚すべて違うなどと説明を受けました。
本地堂(鳴龍):龍の鳴き声を初めて聞く(?!)
陽明門を出て、右(向かって左)に本地堂(鳴龍)があります。
本地堂は、東照大権現(=家康公)の本地仏である薬師如来を祀るお堂です。輪王寺では薬師堂と呼んでいます。
内部拝観でき、案内の人の説明がありました。
拍子木を一度打ち、その後、天井に描かれた龍の下に移動し、もう一度打ち鳴らします。
龍図の下では音が反響し、龍が鳴いているように聞こえることから「鳴龍」と呼ばれます。
龍の鳴き声かどうかは別にして、龍図の下で打ち鳴らした音はたしかによく反響していました。
御朱印
日光東照宮
書き置きです。
鳴龍
絵入り特別御朱印。書き置きです。
●東照宮の基本情報
・ご祭神:徳川家康公、(相殿)豊臣秀吉公・源頼朝卿
・旧別格官幣社
・創建:1617年
・文化財:国宝、重要文化財/世界文化遺産
・栃木県日光市
2023(令和5)年11月8日(水)参拝(61歳8か月)