二荒山(ふたらさん)神社は男体山(二荒山)を御神体山とする神社であり、「日光の社寺」として世界文化遺産に登録されています。「日光」の地名に深い関係があります。
東照宮に隣接
二荒山神社は東照宮の西北に隣接しています。(東照宮からは徒歩5~10分くらい)
▼五重塔を右に見ながら、背の高い木(日光杉?)が並ぶ参道を歩きます。
二荒山神社は、江戸時代まで、東照宮、輪王寺とともに日光山を形づくっていました。明治政府の神仏分離令により3つに分かれました。
1999年には、この二社一寺が「日光の社寺」として世界文化遺産に登録されました。
▼東照宮からは2本ある参道のうち、下新道を歩くと大鳥居に着きます。
二荒山と日光
山岳信仰の霊場として栄える
二荒山神社は、日光連山の主峰・男体山(二荒山)を御神体山とします。
日光山が勝道(しょうどう)上人により開かれる前から、日光の山々は信仰の対象になっていました。
勝道上人が初めて二荒山の登頂に成功し、山頂に奥宮を、中禅寺湖畔に中宮祠を建てました。
その後、日光山は関東一の霊場として栄えていきました。
「華厳の滝」も境内地
境内は広大で、日光連山(男体山、女峰山、太郎山など8峰)をはじめ、華厳の滝、いろは坂、神橋まで神域が及びます。
伊勢の神宮に次ぐ広大な領域とのことです。
「日光」の地名は「二荒」から
「二荒山」の名称の由来については、いくつかの説があります。
・勝道上人が日光山を開いた奈良時代には、男体山は観音菩薩が住むとされる「補陀洛山(ふだらくさん)」と呼ばれていたが、訛って「ふたら」になった
・馬返(いろは坂下り道右手)の岩壁の洞穴から、春と秋の二回、風が吹き荒れるとされていたことから、二荒となった
などなど。
「日光」という地名の由来は、
弘法大師空海がこの地を訪れた際に「二荒山」の「フタラ」を「ニコウ」と音読みし、「日光」という文字をあてた・・・
今や世界遺産となり、外国人観光客も多数訪れるNIKKOは、二荒山への信仰が起源だった、
というお話でした。 ※空海の日光来訪についての確実な史料はない
▼大鳥居の先に神門。(修繕中のよう)
ご祭神は縁結びの神さま
二荒山神社は、以下の親子三神を二荒山大神として祀っています。
・大己貴命(おおなむちのみこと)=父
・田心姫命(たごりひめのみこと)=母
・味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)=子
大己貴命には大国主命の別名があります。大国主神は、有名なところでは縁結びの神さまとして知られる出雲大社のご祭神として祀られています。
大己貴命は大黒天とも同一視され、福の神、縁結びの神として信仰されています。
▼獅子の台座にも「良」「縁」の文字
どちらも口を開けて阿形になっていますが・・・
▼「良」のほうは尻尾が寝ていて、
▼「縁」のほうは尻尾を立てています。
これも「阿吽」の一種なのでしょうか?
▼神苑の入り口
神苑は有料エリアです。
世界遺産の構成資産になっている社殿があるほか、本殿に最も近い参拝所などがあります。
拝観時間は午前9時~午後4時まで(11月~3月。4月~10月は午前8時~午後5時)。拝観料大人300円、所要時間約20分。
締め切り時間が迫っていたので入苑しなかったのですが、次の機会があれば入ろうと思っています。
▼拝殿・本殿に向かって右方向、東照宮のほうへ戻ります。
▼東照宮まで戻り、石鳥居の近くから撮影。
この日はこれにて打ち止め。下今市のホテルへ向かいました。
御朱印
東照宮も輪王寺も書き置きでしたが、二荒山神社では直書きしてもらえます。
●二荒山神社の基本情報
・ご祭神:二荒山大神(大己貴命、田心姫命、味耜高彦根命)
・式内社(名神大)論社/下野国一宮/旧国幣中社/別表神社
・創建:767年
・文化財(建造物):重要文化財/世界文化遺産
・栃木県日光市
2023(令和5)年11月8日(水)参拝(61歳8か月)