輪王寺にある大猷院(たいゆういん)は、江戸幕府三代将軍・徳川家光公の廟所(墓所)です。
三仏堂(本堂)や護摩堂とは少し離れており、輪王寺境内のもっとも奥まったところにあります。
「大猷院」は家光公の法号です。
「猷」には、「はかりごと」「道」という意味があり、政治のことを言います。つまり、大猷院とは「大きな政治をされた方」という意味です。
家光公のお墓が日光にあるのはなぜ?
家光は家康、二代秀忠の政治を受け継ぎ、江戸幕府の基礎を固めた人物です。
家光は祖父の家康を敬い、慕っていました。
13歳のときに家康が亡くなり、以後、家光の精神的な支えとなったのは天海大僧正でした。家光は天海を父のように慕いました。
※天海大僧正については、【日光・輪王寺_2】をご参照ください。
https://pirooh.hatenablog.com/entry/rinoji-temple-6108no068-2
東照宮を現在のような荘厳な社殿に造り替えたのは家光であり(寛永の大造替)、その指揮をとったのは天海です。
家光は48歳の若さで亡くなりますが、亡くなる間際に「自分が死んだ後も東照大権現にお仕えする」という遺言を残しました。
また、亡くなったら天海のそばに埋めるよう遺言をしたとも言われています。
大猷院の本殿は東照宮の方角を向いており、天海大僧正の墓所である慈眼堂の隣に建てられています。
▼仁王門をくぐり、中に入ります。
手水舎も重厚かつ豪華です。
二天門:日光山内でいちばん大きい門
御水舎の左方向に二天門があります。
二天門は、日光山内でいちばん大きい門です。
組物の密度は陽明門に匹敵するくらいにも見えます。
衣装が派手なのは、家光の趣味?
▼裏側には風神・雷神
▼さらに、階段を上ります。
夜叉門:鬼神が霊廟を守る
階段を上ると、もう一つ門が見えてきます。
右に鐘楼、左に鼓楼があるのは、東照宮の陽明門前と同じつくりです。
▼左右には夜叉の像が安置されています。
▼背面にも2体の夜叉像が安置されています。
夜叉は「インドの鬼神。仏教に取り入れられて仏法を守護する鬼神となり、毘沙門天の眷族とされる。八部衆の一」。
4つの像一つひとつのことはほとんどわかっていませんが、霊廟を守っています。
仁王門や二天門は見たことがありますが、このような門を見るのは初めてです。
拝殿・相の間・本殿:「金閣殿」とも呼ばれる
夜叉門の先が大猷院の核心部分です。
唐門から中に入り、拝殿の内部を拝観できます。
狩野探幽(かのうたんゆう)の描いた唐獅子のほか、天井に140枚の龍の絵などがあります。建物の外側と同様、金色に彩られています。
▼拝殿から出て、右方向に進み側面から建物を見ることができます。
たくさんの金箔や金泥が使われていて、別名「金閣殿」と呼ばれます。
※金泥:金粉を膠(にかわ)の液で溶かし顔料としたもの
東照宮同様、拝殿・相の間・本殿が連なった権現造の建物で、国宝に指定されています。
家康公(東照宮)を凌いではならないという遺言により、金と黒を基調とした重厚で落ち着いた造りになっています。
▼塀を挟んで本殿の右方向に家光公の墓所があります。
中国・明朝の建築様式「竜宮造り」で建てられ「竜宮門」とも呼ばれます。
この門の先に家光公のお墓がありますが、公開されていません。
大猷院には315基の灯籠があります。
これにて参拝終了、大猷院を後にしました。
御朱印
2ついただきました。どちらも書き置きです。
大猷院
金閣殿
●輪王寺の基本情報
・天台宗
・山号:日光山
・御本尊:阿弥陀如来、千手観音、馬頭観音
・創建:766年
・開山:勝道上人
・文化財(建造物):国宝、重要文化財/世界文化遺産
・栃木県日光市
2023(令和5)年11月9日(木)参拝(61歳8か月)