弁慶堂は中尊寺の境内にあるお堂の一つです。ご本尊のほか、義経・弁慶主従の木像などが安置されています。
この記事の内容
義経堂の次は?
「義経堂」の御朱印をいただいたので、次のお目当ては「弁慶堂」の御朱印です(^^♪
▼高館から下りて少し歩くと、東北本線の踏切。
▼踏切を渡り、中尊寺通りを歩きます。
道路が濡れているのは雨のせい。「雨ニモマケズ」歩いてます。
弁慶のお墓に遭遇
境内の手前に弁慶の墓碑がありました。
立ったまま息絶えた弁慶
弁慶にはさまざまな伝説(創作)があり、死にざまもその一つです。
義経の居館、衣川館(現・高館義経堂)が泰衡(奥州藤原氏第四代)に攻められた際、弁慶は義経のいる持仏堂の前に立ちはだかります。
薙刀を振るって孤軍奮闘しますが、全身に矢を受け、弁慶は立ったまま息絶えます(「弁慶の立ち往生」)。
「立ち往生」という言葉は「弁慶の立ち往生」から来ています。
忠義を尽くす
弁慶の亡骸は松の根元に埋められ、五輪塔が立てられました。
江戸時代になり、中尊寺の僧・素鳥(そちょう)の詠んだ句、
「色かえぬ 松のあるじや 武蔵坊」
が刻まれた石碑が立てられました。
句の意味はおおよそ、
「寒さの厳しい冬でも色を変えない松の根元には、どんな苦境にあっても忠義を尽くした武蔵坊が葬られている」
といったところです。
伝・弁慶の墓は、特別史跡に指定されています。
月見坂を上り、弁慶堂へ
中尊寺の入り口に着きました。
▼参道は「月見坂」といいます。
▼そこそこ傾斜のある坂道です。
急坂と聞いていたからかそれほど急には感じませんでしたが、帰りの下りで急坂を実感しました。
▼背の高い杉並木が続きます。
伊達藩によって植えられた樹齢300年を数える老杉とのこと。
▼弁慶堂に着きました。
ご本尊は勝軍地蔵。馬にまたがった武将姿の地蔵菩薩。
▼義経公座像と弁慶立往生の木像などが安置されています。(お堂の内部も撮影OKとのこと)
薙刀を持って仁王立ちする弁慶です。
東物見台からの眺望
弁慶堂付近の参道の右手には眺望が開けます。
▼歩いたルート。
ただ歩くと17分のところ、40分もかかっている。
御朱印「弁慶堂」
書き置きでした。
▼義経・弁慶。そろいました。
●弁慶堂の基本情報
2023(令和5)年10月17日(火)参拝(61歳7か月)