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神社仏閣めぐり初心者が始めた「なるほど」参拝紀行

【平泉・弁慶堂】武蔵坊 主君のそばに 今も立つ|60歳からの御朱印めぐり〔057/541〕

中尊寺弁慶堂

弁慶堂は中尊寺の境内にあるお堂の一つです。ご本尊のほか、義経・弁慶主従の木像などが安置されています。

この記事の内容

義経堂の次は?

義経堂」の御朱印をいただいたので、次のお目当ては「弁慶堂」の御朱印です(^^♪

▼高館から下りて少し歩くと、東北本線の踏切。

中尊寺道踏切」 ここでも中尊寺推し?

▼踏切を渡り、中尊寺通りを歩きます。

中尊寺通り

道路が濡れているのは雨のせい。「雨ニモマケズ」歩いてます。

弁慶のお墓に遭遇

境内の手前に弁慶の墓碑がありました。

武蔵坊弁慶墓碑

武蔵坊弁慶大墓碑」と「弁慶松」

立ったまま息絶えた弁慶

弁慶にはさまざまな伝説(創作)があり、死にざまもその一つです。

義経の居館、衣川館(現・高館義経堂)が泰衡(奥州藤原氏第四代)に攻められた際、弁慶は義経のいる持仏堂の前に立ちはだかります。

薙刀を振るって孤軍奮闘しますが、全身に矢を受け、弁慶は立ったまま息絶えます(「弁慶の立ち往生」)。

「立ち往生」という言葉は「弁慶の立ち往生」から来ています。

忠義を尽くす

弁慶の亡骸は松の根元に埋められ、五輪塔が立てられました。

弁慶の墓

松の根元の右奥にあるのがお墓らしい

弁慶の墓碑建立由来

墓碑の建立由来

江戸時代になり、中尊寺の僧・素鳥(そちょう)の詠んだ句、

「色かえぬ 松のあるじや 武蔵坊」

が刻まれた石碑が立てられました。

句の意味はおおよそ、

「寒さの厳しい冬でも色を変えない松の根元には、どんな苦境にあっても忠義を尽くした武蔵坊が葬られている」

といったところです。

伝・弁慶の墓は、特別史跡に指定されています。

月見坂を上り、弁慶堂へ

中尊寺の入り口に着きました。

中尊寺_寺号票

▼参道は「月見坂」といいます。

中尊寺_月見坂

▼そこそこ傾斜のある坂道です。

中尊寺_月見坂

急坂と聞いていたからかそれほど急には感じませんでしたが、帰りの下りで急坂を実感しました。

▼背の高い杉並木が続きます。

中尊寺_月見坂

伊達藩によって植えられた樹齢300年を数える老杉とのこと。

▼弁慶堂に着きました。

中尊寺弁慶堂

中尊寺弁慶堂

ご本尊は勝軍地蔵。馬にまたがった武将姿の地蔵菩薩

中尊寺弁慶堂

中尊寺弁慶堂

義経公座像と弁慶立往生の木像などが安置されています。(お堂の内部も撮影OKとのこと)

中尊寺弁慶堂

薙刀を持って仁王立ちする弁慶です。

東物見台からの眺望

弁慶堂付近の参道の右手には眺望が開けます。

中尊寺_東物見台

東物見台

中尊寺_東物見台

↑ 高館義経堂でも見た束稲山(たばしねやま)↓

中尊寺_東物見台からの眺望

中尊寺_東物見台からの眺望

▼歩いたルート。

ただ歩くと17分のところ、40分もかかっている。

御朱印「弁慶堂」

書き置きでした。

中尊寺弁慶堂_御朱印

義経・弁慶。そろいました。

右:高館義経堂 左:中尊寺 弁慶堂

 

●弁慶堂の基本情報

・御本尊:勝軍地蔵
・創建:1827年
岩手県西磐井郡平泉町

2023(令和5)年10月17日(火)参拝(61歳7か月)