高館義経堂(たかだちぎけいどう)は、源義経最期の地とされる小高い丘に建つお堂です。松尾芭蕉が有名な句を詠んだ場所でもあります。
この記事の内容
世界遺産平泉へ
意外に近い
平泉へ行ってきました。
・大宮駅(8時21分発)から東北新幹線で一ノ関駅まで1時間46分
・待ち時間8分
・東北本線で平泉駅は2駅目、乗車時間8分(到着10時23分)
計2時間2分。新幹線は早い!
ただ、東北本線は本数が多くなさそうなので、接続には要注意です。(一ノ関からのバス便はもうすこし時間がかかる)
▼駅構内
▼駅舎
平泉は2011年6月に「平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群-」として世界文化遺産に登録されました。パチパチ
中尊寺、毛越寺(もうつうじ)など、5つの資産で構成されています。
平泉訪問の最大の目的は中尊寺の参拝ですが、方向が同じなので高館義経堂へ最初に向かいます。
▼歩いたルート
徒歩約20分です(実際は写真を撮ったりしながら歩いて24分でした)。
▼駅前の道を右折して「中尊寺通り」を歩きます。
無量光院跡
無量光院跡は奥州藤原氏三代秀衡(ひでひら)公が平等院鳳凰堂を模して建立した寺院跡。
発掘調査から平等院より規模が大きかったと考えられています。現在は礎石と池跡を残すのみとなっています。
▼翌日、時間が余ったので再度訪れて撮影。
▼無量光院跡を後にして中尊寺通りをさらに進みます。 何かのお店?
義経終焉の地
中尊寺通りを右に折れると石段が見えます。
高館義経堂は小高い丘陵地にあるとのことなので、どうやら到着のよう。
▼石段を上ると拝観受付。
▼受付を済ませてさらに上ると案内板。
▼柵の向こうには眺望が広がるはずでしたが・・・あいにくの曇り空。おまけに少し前から雨も😢
芭蕉も訪れた高館
松尾芭蕉の句碑へ。
1689(元禄二)年、芭蕉がここ高館を訪れ、眼下に広がる夏草が風に揺れ光るさまを見て、奥州藤原氏の栄華やこの地に散った義経公に思いを馳せ、詠んだとのこと。
一説には、奥の細道の旅は、この地で自刃した義経公の500回忌を意識した旅とも言われているそうです。
悲運の英雄・義経
義経堂へ向かいます。
義経は「判官」とも呼ばれていたことから、義経堂は判官館(はんがんだて・ほうがんだて)とも呼ばれています。
1683年、仙台藩主第4代伊達綱村公が義経を偲んで建立したものです。
▼その際に製作された義経公の木像が安置されています。(撮影OKとのこと)
▼クリアに撮れないので、パンフレットから拝借。
義経って、実際どんな容貌だったのでしょうか?
▼源義経主従供養塔
藤原秀衡公、源義経公、武蔵坊弁慶を供養する宝篋印塔(ほうきょういんとう)です。
頼朝に追われた義経は少年期を過ごした平泉へ落ち延び、秀衡の庇護を受け、高館に居館を与えられます。
しかし、秀衡の死後、子の泰衡は頼朝の圧迫に耐えかねて義経を急襲。
義経は妻子とともにこの地で自害したと伝えられています。享年三十一(涙)
(正室・郷御前(さとごぜん)22歳、娘4歳)。
平氏を滅亡させた壇ノ浦の戦いからわずか4年後の1189年の出来事です。
義経が歴史の表舞台に登場したのは10年という短い期間でした・・・
資料館
石段を少し下りたところに資料館があります。(こちらも撮影OKとのこと)
義経関連のパネルが展示されています。
▼静御前は義経の側室。義経の京都落ちに従ったが吉野山中で別れ、捕らえられた。
▼「義経の足跡」を表した図面。個人的にはかなり興味深い。
平泉一の眺望
資料館を出ると空が明るくなっていたので、再び上ってみると・・・
オー! いい眺め~(山好きです)
御朱印「義経堂」
書き置きでした。
●高館義経堂の基本情報
・御本尊:源義経公木像
・創建:1683年
・開基:仙台藩4代藩主・伊達綱村
・岩手県西磐井郡平泉町
2023(令和5)年10月17日(火)参拝(61歳7か月)