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神社仏閣めぐり初心者が始めた「なるほど」参拝紀行

【三島・三嶋大社】堂々と 権現造に 千鳥破風|60歳からの御朱印めぐり〔063/541〕

三嶋大社_御本殿

三嶋大社には、大きく、重厚な権現造の御本殿があります。

この記事の内容

交通の要衝に鎮座

静岡方面ツアーの2日目は三嶋大社へ。往路を戻り、乗車50分(680円)でJR三島駅

三島駅の位置はこちら。

(駅前の立ち食い蕎麦屋で「三島コロッケうどん」を食べた。麺がすごくもちもちだった。立ち食い蕎麦屋とあなどってはいけない。うどんに気を取られてコロッケはあまり印象がない)

三島駅から徒歩15~20分で三嶋大社です。

▼大社近くで富士山、見えました!

▼大鳥居

三嶋大社_大鳥居

大鳥居前の道路は旧東海道(現・県道145号沼津―三島線)。

このあたりは下田街道の起点でもあり、三島は交通の要衝でした。

古代に伊豆国国府が置かれたこの地に三嶋社は勧請され、人々の崇敬を受け、伊豆国一宮とされました。

三嶋大社_参道

三嶋大社_参道

▼参道を少し進むと、左手に厳島神社があります。

三嶋大社_厳島神社

北条政子が勧請し殊の外」信仰したとのこと。

三嶋大社_厳島神社

三嶋大社_厳島神社

厳島神社の先には狛犬さん、と、

三嶋大社_狛犬

▼鳩!

三嶋大社_狛犬

▼総門

三嶋大社_総門

▼総門の先、左手には社務所があります。

三嶋大社_社務所

いつもは社務所は撮りませんが、えらく立派だったので1枚。

▼手水舎

三嶋大社_手水舎

▼右手には芸能殿。

三嶋大社_芸能殿

三嶋大社_芸能殿

この藁は何だかわかりませんでした。

二所権現とあわせて崇敬される

伊豆山神社に続いて、またしても「頼朝・政子の腰掛石」。

三嶋大社_頼朝・政子の腰掛石

伊豆に流されていた源頼朝は、平家との戦いに際して三嶋社に戦勝を祈願しました。

写真の説明書きには頼朝が「平家追討の心願を込めて百日の日参をした」とあります。

頼朝が開いた鎌倉幕府は、鶴岡八幡宮や二所権現(伊豆山神社箱根神社)とともに三嶋社を厚く崇敬しました。

交通の要衝であったことから、武家のほかにも多くの旅人が参詣したとのことです。

▼神門

三嶋大社_神門

三嶋大社_神門

権現造の豪壮な社殿

神門をくぐると正面には舞殿があります。

三嶋大社_舞殿

なかなか素敵な建物で、大いに感動してしまいました。

三嶋大社_舞殿

三嶋社は徳川家光により大規模に社殿が造営されたました。

その後、安政元(1854)年に発生した東海大地震によりほとんどが倒壊し、現社殿は幕末に再建されたものです。

再建時には、家光造営時の形式を踏襲したとされています。

▼舞殿の後方に御本殿があります。

三嶋大社_御本殿

三嶋大社_御本殿

どっしりした重厚感、力強さを感じます。総欅素木造りだそうです。

瓦葺の屋根と、大きくて角度のきつい千鳥破風がそのように感じさせてくれるのかもしれません。

三嶋大社_御本殿

千鳥破風。でかい!(手前は軒唐破風)

三嶋大社_御本殿

▼左側に回ると後方に本殿が見えます。

三嶋大社_御本殿

本殿・幣殿・拝殿が連結された権現造です。

三嶋大社_御本殿

本殿の大きさは出雲大社とともに国内最大級とのこと。

高さは23メートル。直前に参拝した富士山本宮浅間大社の2階建て本殿が高さ13メートルなので、それより10メートル高い。

三嶋大社_御本殿

三嶋大社_御本殿

左:本殿 右:拝殿

両殿の間には軒下におさまるように相の間がつくられています。

●「権現造」とは?
拝殿と本殿を相の間(石の間)でつなぎ、一連の建物とする神社建築の様式

三嶋大社_摂社・末社

左:小楠社・第二社・酒神社・飯神社・船寄社。中央:見目神社。奥:若宮神社

三嶋大社_水神社

水神社

三嶋大社_鬼瓦

▼宝物館を見学。

三嶋大社_宝物館

北条政子が奉納した国宝・梅蒔絵手箱(たしかにきれいだった)や太刀などを鑑賞。

個人的には頼朝の合戦のようすを描いた絵が興味深かった。

御朱印三嶋大社

直書きでいただきました。

三嶋大社_御朱印

 

三嶋大社の基本情報

・ご祭神:三嶋大明神大山祇命積羽八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ))
式内社名神大)/伊豆国一宮/伊豆国総社/旧官幣大社別表神社
・創建:不詳
文化財重要文化財
静岡県三島市

2023(令和5)年11月2日(木)参拝(61歳8か月)