三嶋大社には、大きく、重厚な権現造の御本殿があります。
この記事の内容
交通の要衝に鎮座
静岡方面ツアーの2日目は三嶋大社へ。往路を戻り、乗車50分(680円)でJR三島駅。
▼三島駅の位置はこちら。
(駅前の立ち食い蕎麦屋で「三島コロッケうどん」を食べた。麺がすごくもちもちだった。立ち食い蕎麦屋とあなどってはいけない。うどんに気を取られてコロッケはあまり印象がない)
▼大社近くで富士山、見えました!
▼大鳥居
大鳥居前の道路は旧東海道(現・県道145号沼津―三島線)。
このあたりは下田街道の起点でもあり、三島は交通の要衝でした。
古代に伊豆国の国府が置かれたこの地に三嶋社は勧請され、人々の崇敬を受け、伊豆国一宮とされました。
▼参道を少し進むと、左手に厳島神社があります。
「北条政子が勧請し殊の外」信仰したとのこと。
▼鳩!
▼総門
▼総門の先、左手には社務所があります。
いつもは社務所は撮りませんが、えらく立派だったので1枚。
▼手水舎
▼右手には芸能殿。
この藁は何だかわかりませんでした。
二所権現とあわせて崇敬される
伊豆山神社に続いて、またしても「頼朝・政子の腰掛石」。
伊豆に流されていた源頼朝は、平家との戦いに際して三嶋社に戦勝を祈願しました。
写真の説明書きには頼朝が「平家追討の心願を込めて百日の日参をした」とあります。
頼朝が開いた鎌倉幕府は、鶴岡八幡宮や二所権現(伊豆山神社・箱根神社)とともに三嶋社を厚く崇敬しました。
交通の要衝であったことから、武家のほかにも多くの旅人が参詣したとのことです。
▼神門
権現造の豪壮な社殿
神門をくぐると正面には舞殿があります。
なかなか素敵な建物で、大いに感動してしまいました。
三嶋社は徳川家光により大規模に社殿が造営されたました。
その後、安政元(1854)年に発生した東海大地震によりほとんどが倒壊し、現社殿は幕末に再建されたものです。
再建時には、家光造営時の形式を踏襲したとされています。
▼舞殿の後方に御本殿があります。
どっしりした重厚感、力強さを感じます。総欅素木造りだそうです。
瓦葺の屋根と、大きくて角度のきつい千鳥破風がそのように感じさせてくれるのかもしれません。
▼左側に回ると後方に本殿が見えます。
本殿・幣殿・拝殿が連結された権現造です。
本殿の大きさは出雲大社とともに国内最大級とのこと。
高さは23メートル。直前に参拝した富士山本宮浅間大社の2階建て本殿が高さ13メートルなので、それより10メートル高い。
両殿の間には軒下におさまるように相の間がつくられています。
●「権現造」とは?
拝殿と本殿を相の間(石の間)でつなぎ、一連の建物とする神社建築の様式
▼宝物館を見学。
北条政子が奉納した国宝・梅蒔絵手箱(たしかにきれいだった)や太刀などを鑑賞。
個人的には頼朝の合戦のようすを描いた絵が興味深かった。
御朱印「三嶋大社」
直書きでいただきました。
●三嶋大社の基本情報
・ご祭神:三嶋大明神(大山祇命、積羽八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ))
・式内社(名神大)/伊豆国一宮/伊豆国総社/旧官幣大社/別表神社
・創建:不詳
・文化財:重要文化財
・静岡県三島市
2023(令和5)年11月2日(木)参拝(61歳8か月)