輪王寺の参拝を終え、下今市駅に来ました。下今市駅は東武日光駅から2つ目の駅です。
下今市駅は、SL大樹復活に伴い、鬼怒川エリアをSLが走っていた時代を彷彿させるデザインにリニューアルされています。
(前日、下今市駅近くのホテルに宿泊し、この日は駅のコインロッカーに荷物を預けていたので戻ってきました。)
二宮尊徳を祀る神社
帰りのスペーシア号の発車時刻まで時間があったので、報徳二宮神社へ行きました。(駅から徒歩約3分)
二宮尊徳は今市の報徳役所にて亡くなり、終焉の地である今市に神社が創建されました。
▼鳥居の前の左右に何やら大きな像があります。
▼座像の頭上が「願い受け」になっていて、お金を投げ入れてうまく入ると願い事が叶うのだそうです。
▼二宮尊徳の像があります。
薪を背負っている金次郎の像は自分が通っていた小学校にもありました。(歳がばれる?・・・ もう、ばれてる!)
二宮尊徳(金次郎)とは?
二宮尊徳について調べてまとめてみました。
苦学の末、一家を再興
二宮尊徳は、江戸末期の農政家・思想家。幼名金次郎。相模国小田原(神奈川県)の人。道徳と経済の両立を説いた「報徳思想」を唱えた。
農家に生まれ、少年のときに父母を失い、伯父の家を手伝い、苦学の末没落した一家を再興。
「報徳仕法」により農村を復興
小田原藩服部家の再建に成功し、この経験をもとに独特の農法、農村改良策(報徳仕法)により、北関東などの諸藩・諸村の復興に尽力。
農民から幕臣に
晩年は日光神領(現在の日光市域の大部分)の立直しの命を受け、通称「報徳役所」を建てて報徳仕法の拠点としたが、半ばで逝去。
明治天皇に次いで教科書に多く登場
明治10年代に入り政府から注目されるようになり、30年代からは修身の手本として顕彰される。
1904年の最初の国定教科書《尋常小学修身書》では、孝行・勤勉・学問・自営の4徳目に取り上げられる。
少年時代の金次郎は、明治天皇に次いで国定教科書に最も多く登場する人物となった。
昭和に入り、薪を背負い本を読む金次郎の像が小学校に広く建てられるようになった。
当初は銅像であったものが、戦時中の金属供出によって石像に変えられたものが多いという。
▼境内の奥に二宮尊徳のお墓があります。
これにて、日光の旅は終わりです。
●お会計
・交通費:7,329円
・宿泊代(1泊):4,900円(楽天のポイントを使って安く上げた)
計:12,229円
御朱印
御朱印帳を携帯していなかったので、書き置きをいただきました。
●報徳二宮神社の基本情報
・ご祭神:二宮尊徳(金次郎)
・創建:明治31年
・栃木県日光市
2023(令和5)年11月9日(木)参拝(61歳8か月)