京都市東山区にある清水寺は、京都盆地の北東部に連なる東山連峰の一つ、標高242メートルの音羽山(おとわやま)の中腹に立地しています。
「清水の舞台」からは京都市街や、春本番を迎えた東山の眺望を楽しむことができました。
この記事の内容
京都有数の古刹
清水寺は平安初期の武将・坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)の創建とされています。
※坂上田村麻呂:征夷大将軍となり蝦夷(えみし)平定に大きな功績を残した
開創はそれより古く778年と伝えられており、京都では平安遷都前からの歴史をもつ数少ない寺院の一つです。
現在の社殿はほとんどが1633年再建のもので、国宝1棟、重要文化財15棟を有し、世界文化遺産に登録されています。
山の中腹に開かれた境内
仁王門前に「阿阿」の狛犬
境内の入り口に仁王門があります。
狛犬は「阿吽」で一対になっているのが一般的ですが、清水寺の狛犬は両方とも口を開いています。
なぜでしょう?
●そもそも狛犬って?
狛犬についてまとめてみました。
※明治神宮と京都国立博物館のホームページの記述を総合しています
狛犬とは、社殿の前などに置かれる一対の獅子や犬に似た獣の像のこと。魔よけの力をもつとされています。
起源は古代オリエントやインドにさかのぼります。古代オリエント諸国では神や王位の守護獣としてライオンの像が用いられていました。ピラミッドのスフィンクスがその一例です。
奈良時代、日本に仏教が伝来し、仏像とともに獅子の像も伝わりました。当初は仏像の前に左右2体の獅子像を置いていました。
獅子の像が朝鮮半島経由で日本に伝わったとき、ライオンのことを知らなかった当時の日本人は、日本のものとは異なる犬と考え、異国の犬=「高麗(こま)犬」と呼んだそうです。
●昔はお寺にも置かれていた
平安時代に入り、向かって右に口を開いた獅子の像、左には口を閉じ、頭上に1本の角をはやした狛犬を置く新しいセットが登場。宮中、神社、寺院にも置かれるようになりました。
狛犬は神社に置かれるものだと思っていたのですが・・・
もともと仏像の前に置いていたのであれば寺院に置かれるのは自然なことですね。
その後、時が経つにつれ、獅子と狛犬の区別があいまいになり、一般に狛犬と呼ぶようになったとのことです。
ということで、今後は1本角などにも注意しながら狛犬を見ていきたいと思います。
なお、清水寺の狛犬は東大寺南大門の狛犬をモデルにしているとのこと。東大寺の記事をご参照ください。
↓
現在、この狛犬は清水寺の鎮守社だった地主(じしゅ)神社の所有のようです。
▼仁王門に上ってからも階段を上ります。
やっぱり絵になる三重塔
清水寺の三重塔は高さ約30メートル。三重塔としては日本最大級とのこと。
中には大日如来像が祀られています。
▼参拝の順とは異なりますが、三重塔の画像を並べます。
▼経堂から先の境内のようすです。
山を切り開いて境内にしているからでしょうか、建物が雑然と並んでいるようにも感じますが・・・(個人の感想です)。
観音信仰
轟門(とどろきもん)です。こちらが本堂への入り口になっています。
▼本堂は国宝指定を受けています。
清水寺は「清水の観音さん」として親しまれています。
観音さまとは?
「観音さま」は正式には観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)といいます。菩薩さまのお一人(?)です。
菩薩は、悟りを求め、衆生を救うために修行を重ねる者で、大乗仏教の仏さまのなかでは如来の次の位に位置しています。
観世音菩薩は、悩める人々の声を観じ、すぐに救済するという菩薩さま。
その姿を33身に変えて人々に救いの手を差し伸べるといいます。
古くからの観音霊場
清水寺のご本尊は「十一面千手観世音菩薩」。十一の表情と四十二の手で大きな慈悲をあらわし、人々を苦難から救うといわれています。
平安時代に観音信仰が盛んになると、清水寺も修行や学問の寺ではなく、信仰の寺として栄えました。
「清水の観音さん」は、救いと、来世ではなく現世利益を願う庶民の篤い信仰を集めてきたんですね。
清水の舞台
「清水の舞台」は何と言っても眺望がすばらしい!
「清水の舞台」はなぜ崖の上に?
舞台とはご本尊に舞などの芸能を奉納する場所。
「清水の舞台」は、本堂内部に向かって背面側の崖の上にせり出すようにつくられています。
平安遷都以降、清水寺に多くの参拝者が訪れるようになり増築していったため、現在のような形になったとのことです。
「清水の舞台」は高さ約13メートル。ビルの4階に相当する高さです。
樹齢400年余りの欅の柱18本と貫(ぬき)を格子状に組み上げた「懸造り(かけづくり)」と呼ばれる日本古来の伝統的工法でつくられています。
「清水の舞台から飛び降りる」とどうなる?
重大な決意で思い切って何かをするときに、「清水の舞台から飛び降りるつもりで」ということわざを使うことがあります。
実際、江戸時代には飛び降りた人がいたそうで、
結果は・・・
236人中、201人が助かったとのこと。ビルの4階相当から飛び降りた割には生存率が高いように思いますが・・・
では、なぜ、飛び降りたのかというと、観音さまを信仰する人たちが自身の信仰心を示すため、というのが理由のようです。
昔は信心深い人が多かったんですね~
▼テレビや写真でよく見る風景が現れましたー!
▼崖上の参道からいったん降り、南方向に上ったところに子安塔があります。
聖武天皇と光明皇后が安産の祈願をしたところと伝えられています。内部に子安観音が祀られていて、安産のご利益があるそう。
音羽の瀧
清水寺の名所の一つ「音羽の瀧」。奥の院が建つ崖下にあります。
「音羽の瀧」は清水寺の名前の由来となった瀧です。古来より清めの水と尊ばれてきました。
江戸時代には修行僧ではない一般の人でも「音羽の瀧」で滝行ができたとのこと。このことが清水寺の人気を高めた理由の一つになったそうです。(某テレビ番組の情報)
「雪月花の三庭苑」の「月の庭」があり、期間限定で特別公開されますが、参拝当日は非公開でした~
御朱印
直書きです。何と書いていただいたかわからなくなってしまいました(汗)。
「大悲閣」らしいのですが、最後の字が「閣」にはどうも見えない。
「堂」のように見えるけど・・・「どう」でしょうか?
●清水寺の基本情報
・北法相宗(きたほっそうしゅう)
・山号:音羽山(おとわさん)
・御本尊:十一面千手観世音菩薩
・創建:778年
・文化財:国宝・国指定重要文化財/世界遺産
・京都市東山区
2023(令和5)年3月31日(金)参拝(61歳0か月)