「鎌倉」と言えば、(独断と偏見で)鶴岡八幡宮。鎌倉幕府を開いた源頼朝が創建した鶴岡八幡宮は、800年以上を経た現在でも鎌倉のシンボル的存在です。
※2022年11月参拝
この記事の内容
鎌倉の拠点として造営
鎌倉駅から3~4分歩くと二の鳥居に着きます。
二の鳥居の北方向、約500メートル先に鶴岡八幡宮があります。
鶴岡八幡宮へ続く道は若宮大路といい、鶴岡八幡宮の参道として整備された道です。
平氏打倒を目指して挙兵した頼朝が鎌倉に入り、街づくりの中心に据えたのが鶴岡八幡宮と若宮大路でした。
道の曲がりが直され、由比ヶ浜まで南へまっすぐ伸びる若宮大路は、現在でも鎌倉の主要道路になっています。
源氏の氏神を祀る
ご祭神
鶴岡八幡宮では、第15代応神天皇、神功(じんぐう)皇后、比咩(ひめ)神の三柱を祀っています。
●応神天皇
応神天皇は大和朝廷の全盛期、5世紀前半のご在位。大陸の文化と産業を輸入し、新しい国づくりをされました。
応神天皇の御心霊は571年に初めて宇佐の地(大分県宇佐市)に顕れ、八幡大神として祀られました。
ちなみに、応神天皇陵は仁徳天皇陵(←教科書で写真をよく見た)に次いで大きい前方後円墳です。
現在、仁徳天皇陵と応神天皇陵は「百舌鳥・古市(もず・ふるいち)古墳群」として世界文化遺産に登録されています。
●神功皇后
第14代仲哀天皇がお亡くなりになられた後、お后の神功皇后は、神の託宣にしたがい三韓征伐に赴き、新羅(しらぎ)を降伏させ、百済(くだら)、高句麗(こうくり)も帰順させたそう。
サッチャー前イギリス首相も顔負けの女傑(?)です。スーパーウーマン!
●比咩神
比咩神は、宇佐の地において八幡神が顕れる以前の古い神、地主神として祀られ崇敬されてきました。
武士の尊崇を集める
八幡神は古くから弓矢の神、武門の神として武士の信仰を集め、神仏習合(しんぶつしゅうごう)により八幡大菩薩とも呼ばれました。
ハチマン・ダイ・ボサツ・・・響きがいいですね。強そう~
その後、源氏の氏神となり、頼朝によって鶴岡八幡宮が勧請されると各地の武士により分祀され、一般の人たちの間にも八幡信仰が広がっていきました。
鎌倉と源氏のつながり
鶴岡八幡宮は由比若宮(ゆいわかみや)を遷宮してつくられました。
由比若宮は、頼朝の5代前の祖先・源頼義(よりよし)が建てた神社で、現在では元八幡とも呼ばれます。
歴史を少しさかのぼると、源氏の東国進出の足がかりをつくったのは、関東で起こった平忠常の乱を平定した源頼信(よりのぶ・頼朝の6代前)。
平忠常の乱にも従軍した頼信の子・頼義は、相模守、武蔵守などをつとめ、坂東武者との結びつきを深めます。
奥州の豪族・安倍氏が反乱を起こすと、頼義は乱鎮圧の命を受け、奥州へ赴きます(前九年の役)。
その際、頼義は京都の石清水八幡宮に戦勝祈願をし、勝利した後に石清水八幡宮のご祭神を由比郷鶴岡に勧請しました。これが由比若宮です。
鶴岡八幡宮は、鎌倉市雪ノ下2丁目にありますが、「鶴岡」の由来はこれだったんですね。
↓ お詣りを済ませて、石段を下りたところで御朱印をいただきました。
↓ 白旗神社。
↓ 旗上弁財天社。
夕刻になってきたので、鶴岡八幡宮を後にします。
↓ 夕食後、夜の境内を散策。
今夜は鎌倉のホテルで宿泊です(^^♪
全国旅行支援を利用。このとき(2022年秋)は宿泊費の割引が40%、平日のクーポンが3000円/日。
鎌倉は日帰りで行けるところですが、日帰りを2回行ったときの往復の交通費を考えると、ほぼトントンと家族を説得。
↓ 翌朝、再訪。
宝物殿で神宝を鑑賞。刀と頼義公の木彫りの像なんかがあった。(200円)
↓ 本宮の左側面を撮影。
再び白旗神社。
黒塗りの社殿に金の笹竜胆(ささりんどう)紋が映えて、かっこいい!
御朱印「鶴岡八幡宮」
コロナ対応で書き置きになっていました~(ちょっと残念)
●鶴岡八幡宮の基本情報
・旧国幣中社/別表神社
・ご祭神:応神天皇・神功皇后(応神天皇の母)・比売神
・創建:1180年
・神奈川県鎌倉市
2022(令和4)年11月16・17日(水・木)参拝(60歳8か月)