相国寺(しょうこくじ)は室町幕府第3代将軍・足利義満が創建した禅寺。京都五山二位に列せられる名刹です。背の高い松の植木が印象的な境内は、禅寺らしい穏やかな空間でした。
この記事の内容
相国寺について
「国王兼首相(?)」が創建
相国寺を創建したときの義満の官職は左大臣。中国では左大臣を「相国」と呼称していたことなどから相国寺と名づけられました。
太政大臣は適任者がいなければ任命されない官職なので、左大臣が実質的な太政官の長官。今の日本に当てはめれば首相といったところでしょうか。
義満は外交では勘合貿易を始めたことで知られていますが、その際、中国・明王朝に朝貢して「日本国王」に冊封されています。
なので、相国寺は当時の認識では、国王兼首相が建てたお寺といったイメージだったのかもしれません。
一時は京都五山の一位に
義満は五山の制をととのえ、新たに建立した相国寺を京都五山の二位に据えました。
※五山:禅宗(臨済宗)の寺院を格付けした制度
その後、義満の存命中には京都五山一位となりました。(義満の死後、二位に戻る)
↓ 京都五山についてはこちらの記事で少し触れています。
往時は約144万坪の広大な敷地に50余りの塔頭を擁し、高さ約109mの七重大塔を有する(落雷により3度焼失)など、すごいスケールだったようです。
144万坪は東京ドーム約101個分の広さ。
※東京ドームの面積:46,755m2。47,000m2で計算
高さ109mは25~30階建てのビルに相当、現存する日本一高い木造建築である東寺・五重塔(55m)の2倍近い高さです。
当時は隆盛を誇っていましたが、応仁の乱などの兵火や火災などで何度も焼失・再建を繰り返し、明治の廃仏毀釈を経て現在に至っています。
禅寺の空気が漂う
総門から境内に入るとこんな感じです。↓
上の写真の左側(西側)から境内を出て少し歩くと京都のメインストリートの一つである烏丸通に出ますが、境内の中ほどは静かで、落ち着きます。
最近、白壁と縦横の木組みの建物を見ると、「禅寺に来たんだな~」と感じるようになりました。(ほかの宗派でも白壁の建物はあるかもしれませんが)
「春の特別拝観」法堂・方丈・浴室
参拝日は「春の特別拝観」期間中で、法堂(はっとう)・方丈・浴室を拝観しました。
「最大最優秀作」の法堂
法堂は、経典を講義したり、説法したりする建物のこと。他の宗派では講堂と呼んだりするところです。
現在の法堂は、徳川家康の命により豊臣秀頼(秀吉の息子)が寄進し、1605年に再建されたもの(5度目の再建!)。
現存する法堂としては最古のもので、「桃山時代にできた禅宗様建築としては、最大最優秀作(相国寺ホームページより)」といわれており、国の重要文化財に指定されています。
相国寺の法堂には、運慶の作と伝わる御本尊の釈迦如来像が安置されています。
御本尊は本来、仏殿に安置されるものですが、焼失後再建されなかったため、法堂が仏殿を兼ねる形になっています。
↑ 写真を撮っているときは松の木が邪魔だなと思ったのですが、改めて見ると、特徴的な景観をつくりだしているように思えてきました。↓
法堂の中に入ると、天井に龍の図が描かれていました。禅寺の法堂にはだいたい龍の絵がありますね。
「蟠龍図(ばんりゅうず)」というもの(狩野光信筆)で、手をたたくと反響するので「鳴き龍」とも呼ばれているとのこと。(内部は撮影禁止)
仏殿の中で手を打つのは戸惑いがありましたが、案内の方に勧められて決められた場所で手を叩いてみました。確かに反響はしていました・・・
方丈:庭園がきれい
方丈は禅宗寺院における住職の居室、あるいは、住職そのものを指します。
部屋の内部以外は撮影OKです。
裏側に回り込みます。
浴室にも仏さまが
浴室は禅宗寺院の七堂伽藍の一つに数えられる重要な建物。4年ぶりの公開とのこと。
※七堂伽藍:仏教寺院の主要な七つの建物。七堂は宗派によって異なる
五右衛門風呂のような湯舟とおぼしきものがありました。(パンフレットを読むと湯舟ではなさそう)
案内の方に教えていただいたのですが、浴室には跋陀婆羅菩薩(ばったばらぼさつ)という仏さまが安置されているそう。
禅宗寺院では浴室にこの菩薩さまが安置されるらしいです。浴室も修行の場なのでしょうか?
御朱印
今さらながらですが、お寺の御朱印は味わいがありますね。
直書きされているのは、法堂の「無畏堂」。「本来、畏れることなく法を聞くお堂・法堂」という意味が込められているそうです。
●相国寺(相國承天(じょうてん)禅寺)の基本情報
・臨済宗 相国寺派 大本山
・山号:萬年山(まんねんざん)
・御本尊:釈迦如来
・創建:1382年
・文化財:国指定重要文化財
・京都市上京区
2023(令和5)年3月29日(水)参拝(61歳0か月)